休日と本と旅と
休日の午後。何もする事がない日。
僕はふらりと家を出て、
季節を感じながら、
本屋に向かいます。
大抵は自分が住む街の、
行きつけのような、
行きつけではないような、
とにかく好きな本屋に向かいます。
時には列車に乗り、
大きな街に出て、
本屋から本屋へと、
徒歩の旅を楽しみます。
本屋に行くのは、
あいの日よりも、
社会の活動がひと段落した、
休日が良いですね。
あいの日の空気より、
なにか開放的な空気が漂う街を、
身体一杯に感じながら、
のんびり心穏やかに、
本屋に向かうのです。
そうしてたどり着いた本屋では、
さながら童心に戻って、
宝探しをするような気持ちになります。
でもあまり何も考えずに、
陳列された本を開いては少し読み、
閉じては置いて、また別の棚に移動し、
を繰り返します。
そうしていると、
頭の片隅にこびりついて離れない、
雑念や悩み事が、
いつのまにか浮き剥がされ、
本と僕だけの世界が広がっていきます。
そんな中でこれはと思うような、
何か心が惹かれる本を幾冊か見繕い、
その中から一冊、
家に連れ帰りたい本屋を選ぶのです。
今日一緒に帰れなかった本たちとの
別れを惜しみつつ、
またの再会を約束しつつ、
約束を忘れるようないい加減さで、
僕は一冊の本と巡りあいます。
今日はこちらの本が僕のお供に
なってくれました。
淡々とした日々が、
淡々と変わらずに、
本という存在のおかげで、
幸せを運んできます。
そんな生活が、
僕は大好きです。
自作詩 わからない
わからない
現実を見えなくするには
わかったと思えばいい
わかったと思えば
物事は止まる
限定される
確実にしたければ
誰かとこれをすればよい
二人のわかったは
一人では変えにくい
どちらか一人が人に話せば
間違った現実が
現実として一人歩きしてくれる
そうすれば現実を見誤れる
現実を見たいなら
わからないと思うがよい
わからないをわからないとするほうが
現実をありのままに見ている
懈慢
怠りなまける様
何かを解ったつもりになり
満足するよりは
わからないの方が優位である
わからないはわからない
そうっとしておけばよい
そうっとしておけば
いつか硬い結び目が
ほろっととけるように
心に開きを感じる時がくる
そうしたら
幾ばくかはわかったと思えばよい
わからないのわからないを
時とともに色んな角度から見たときに
自ずとやってくる柔らかな閃きを
味わいまた離すとよい
わかったは
やめたと同じ
わからないを楽しめれば
現実を味わうに同じ
自作詩 淡々と
淡々と
淡々と
日々を過ごして
歳をとる
そんな生き方が
昔は嫌いだった
いつも活発に
前と上を向いて生きたかった
三十五を過ぎてから
ありのままに
あるがままに
生きたい
こう思うようになった
それまでの語彙が
日に日に変化し
成功
成長が
質素
素朴に
変化した
すると
見落としてきたものが目に入ってきた
世界が変わってきた
今も変化の最中だが
誰かの基準で
成功をはかられるより
あるがままに
成功したい
いつのまにやら
過去と今が
混ざり合い
自分が自分に
人が人になった
淡々と
日々を過ごして
歳をとる
うわべのスナックではない
滋味に溢れる生き方が
今の僕には好ましい
三十五
歳をとれば凝り固まる
そんな僕のイメージは
ただの固定観念だった
歳をとっても
固定されず
柔らかく生きていく
自分も人も
あるがまま
受け入れられる範囲で
受け入れればよい
受け入れられなければ
そうっと放っておき
あるがままにしておけばよい
散文 心優しい祖母
心優しい祖母
世界大戦
艱難辛苦
暴力夫
辛いことが多い人生を
耐え生きた祖母
人生とは何か
そんなことを考えたのだろうか
おそらく考えはしなかっただろう
考えたら
きっと苦しみに打ちひしがれていたに違いない
そんなおばあちゃんは
僕の大切な人がだった
苦しみに耐え
悲しみを抱き生きた人が持つ
澄んだ目
全てをありのままに
受け入れ
苦みを味わい尽くした
悲しみが
心に雨を日々降らせ
決しておもてに出さないのに
目は水晶のように洗われていた
決して自慢できる孫でない自分も
幸せを願い
表に出さず一緒に過ごしてくれた日々
子供時代を振り返ると
小遣いをねだる
わがままな孫でしかなかった
情け無い気持ちにしかなれない
でもおばあちゃんが大好きだった
おばあちゃんが亡くなった日
横になり
現実を受け入れるか
受け入れないか
迷いつつ
うつつとしていた
そんな僕の横に
おばあちゃんが寄り添っているのを感じた
飛びっきりの微笑みと
飛びっきりの澄んだ目で
赤ちゃんの横に添い寝するようにして
僕と一緒にいつまでもいると
無言で伝えてくれた
今の僕は
相変わらず
自慢のできない
情け無い孫
でも
おばあちゃんを尊敬している
この気持ちに嘘はない
生きることは苦しみを伴うけれど
おばあちゃんの孫になれた僕は
幸せなのかもしれない
生前
僕が子供のころ
おばあちゃんに何が幸せって聞いた
するとおばあちゃんは
寝ることが唯一の幸せだと答えた
そんなおばあちゃんと一緒にいたくて
苦くて嫌いだった
コーヒーを飲むようになった
おばあちゃんはブラックに砂糖だったけれど
僕はブラック
おばあちゃん
いつもありがとう
このブログに載せている自作詩について
僕は、心が何かに動いたときに、
その心象を言葉にしたいと、
言葉という絵の具で、
紙のうえに表現したいと思い、
自作詩を書いています。
特に有名になる詩を書きたいのではなく、
詩でひと財産稼いでやろうなんて気持ちは毛頭なく。
ただ、言葉で絵を描きたいのです。
このブログに載せている詩は、
そんな心の衝動です。
衝動のため、衝動をありのままに
残しています。
言葉の配置について考えたりもせず、
一応見直しはたまにはしますが、
下書きの状態に近いものです。
詩について詳しい方が読んだら、
一笑にふされるものかもしれません。
そんな僕の詩です。